
都会の喧騒から離れた、夜の静かな印刷所。そこは、かつて多くの言葉や物語を紙に刻んできた「写真植字(写植)」の場所でした。デジタル化の波に押され、重厚な写植機たちは役目を終え、部屋の隅で静かに眠っています。その機械の中に収められたガラスの文字盤。そこに刻まれているのが、この「顔付きの満月」の記号、BA-90でした。かつてBA-90は、大人気でした。漫画のキャラクターが笑ったとき、読者がホッとするギャグシーンの片隅、そして誰かを元気づけるメッセージの最後。彼はいつも、インクの匂いに包まれながら、たくさんの子どもたちや大人たちを笑顔にしてきました。「僕の仕事は、誰かの心をほんの少し軽くすることなんだ」彼は自分の役割に、誇りを持っていました。しかし、時代は変わりました。文字はパソコンの画面上で一瞬で打ち出されるようになり、重い文字盤を使って一文字ずつ光を当てる写植の出番は、すっかりなくなってしまったのです。暗い部屋の中で、何年も、何年も、誰にも使われない日々が続きました。「僕はもう、誰のことも笑顔にできないのかな……」ガラスの文字盤の中で、BA-90は静かに涙を流しました。自分の存在が、世界の記憶から消えていくような寂しさを感じていたのです。そんなある日、印刷所に一人の若い青年がやってきました。彼は、かつてこの印刷所で職人として働いていた、おじいちゃんの孫でした。青年は、おじいちゃんが遺した古いノートを見つけ、そこに押されていたBA-90のスタンプに目を留めたのです。「なんだか、すごく温かい顔をしてるな」青年はスマートフォンのカメラで、その古ぼけた記号をパシャリと撮影しました。そして、インターネットの海へとその画像を投稿したのです。「おじいちゃんの古いノートで見つけた、不思議な笑顔のマーク。なんだか元気が出る」その投稿は、瞬く間に世界中へと広がっていきました。かつてその記号を見て育った世代の人々は「懐かしい!」「まだ残っていたんだね」と涙し、初めて見る若い世代の人々は「シュールだけど、見ているだけで癒やされる」と、次々にその画像をシェアしていきました。暗い印刷所の文字盤の中で、BA-90の体がぽっと温かくなりました。時空を超えて、何万人、何百万人もの人々が、自分を見て笑顔になっているのを感じたのです。形を変え、場所を変えても、彼が持つ「人を笑顔にする力」は、1ミリも衰えていませんでした。今、彼はインターネットという新しい宇宙の中で、再び輝いています。時代遅れと言われた古い記号は、形を変えて人々の心に寄り添い、今日も誰かの1日を、優しく照らし続けています。
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